ゲームについていろいろ考えるとこ

ゲームについて考えます。考察記事やレビュー、ゲームを巡る問題などゲームに関わることを論じたい

DEATH STRANDING の世界を考える 雑多に考察

クリアした

 ストーリーそっちのけで寄り道しまくりましたが、80時間以上掛けてクリアしました。恐らくストーリーどんどん進めてもそこそこなボリュームがあるし、満腹感が得られながらクリア後もまだまだ遊べそうというとんでもないゲームです。クリアしてみた今このゲームの価値を考えてみて、ストーリーのちょっとした解説のようなものをやってみようと思います。エンディングを観ているので完全なネタバレを含みます。クリアしたけどモヤモヤが晴れない方は見てみてください。私が気になった点と考えてみた結果を書きます。

 

短評

本作は小島監督作品を好む私の主観的なバイアスを一旦外して客観的に見てみても傑作と言わざるを得ません。ゲームのシネマティックムービーはとてつもないクオリティで、もはや映画との境界がありません。登場するあらゆる出来事はしっかり考えられた上で表現されていて、SFとしての架空の技術や概念の殆どを説明しようと試みられています。これは凄いことで、可能な限り嘘を減らしてご都合主義的な表現を廃していて、作品が持つ世界観に説得力をもたせています。これはまさにSFがただ「架空のもの」であると言わせず、現実に起こりうる可能性の未来としてリアリティに拍車が掛かっています。

「SFは現代の寓話である」というなにかのSF映画に書かれていたレビューを思い出します。これらSFはたいてい現在の社会在りきで描かれます。デスストは発売前の監督の発言や、内容からして明らかに現代社会の人の繋がり方を批判的に捉えています。SFはある社会問題をある意味で極端に増幅して表現します。デスストは人の繋がりが大事であると訴えながら、距離が近すぎる事に対する懸念があることも垣間見えます。というのはサムは個人主義というか孤立的な人物として描かれていて、作品の中で「ネットで世界が一つになっても争いは絶えなかった。無理やりつないでもまた綻びが生まれる」と発言します。サムはそのような孤立主義的な人物で、体制と共同体に属することを嫌いますが、ブリッジズとしての任務を行う中で彼が持っていた接触恐怖症は改善します。しかしながらサムが最終的に共同体から離れる道を選んだ事も、全面的に人との繋がりを奨励するわけではないという意識の現れであるのでしょう。

 

あの世の座礁、BT

デス・ストランディングという現象が起こり、ビーチがこの世に座礁してきたことで世界は大きく変わりました。私の解釈というか、言い換えですが、ビーチは三途の川、BTは怨霊と言えます。ビーチはこの世とあの世をつなぐ境界です。ハートマンの回想シーンで大量の人が海に向かって沈んでゆくのが見えます。三途の川を渡った先があの世なのでしょう。ハートマンは生命維持装置によって蘇生された結果、一度はビーチに行ったものの半ば強制的に現実に引き戻されました。あの世に行く前だったので、BTのように怨霊にならず、魂は正常に身体に戻ったわけです。

BTは肉体を失った魂で、デス・ストランディングによってこの世に座礁し、帰るべき肉体を探しています。通常人間とBTが接触すると対消滅を起こし、辺り一帯はクレーターになります。BTは死体から生じます。死体は一定の期間が過ぎると「ネクローシス」し、BTになってしまいます。都市で亡くなった人がネクローシスしてしまうとたちまち座礁地帯になってしまい対消滅の危険があるので、人の死は速やかに把握しなければなりません。死体は速やかに火葬しなければなりません。ネクローシスした死体はタールに沈みBTになります。死体がBTと交わり対消滅することは無いので、つまり対消滅は魂と魂が交わることで起こる現象と言えます。プロローグでイゴール取った行動もそれが理由でしょう。彼は捕まってしまった同僚を仕方なく銃で撃ち殺し、その後自分の頭を撃ち抜こうとしましたが失敗、最後の手段としてナイフで身体を何度も突き刺します。彼はあの極限の状況で、自分が今死ねば多くの人が助かるんだと考えなんとか死のうとしたのです。あの勇姿には感服です。しかし人間の生命力は案外強いもので、死にきれず先に巨人に食われてしまいました。

 

何故火葬なのか

まず気になるのはこれでした。何故火葬か。作中ではエジプトの死生観が正しいことが証明されたと語られる文面があり、肉体(ハー)と魂(カー)という呼称が出てくるので、イメージの源流としてエジプトの宗教観は色濃く繁栄されているようです。しかし私がアサシンクリードオリジンズで学んだところによると、エジプトでは火葬を行いません。ピラミッドからミイラが出てくるように、エジプトの葬儀は遺体から心臓以外の臓器を全て取り除き、腐敗しないように防腐処理をした上で埋葬します。これは肉体(カー)が何れ魂(ハー)に戻り復活を果たすかも知れないからです。この魂の有り様はエジプトの宗教観に基づいていますが、火葬しなければ化けて出るとか、三途の川とかあの世とこの世とか、仏教や日本の宗教観も混じっているような気がします。特に本人にゆかりのあるモノならビーチに持っていけるとか足がかりになるというのは、日本の宗教観にも見られる八百万の神々にちょっと似てる気がします。

色々考えて私が導き出した答えが以下です。恐らくあの世は地面にあります。これはハートマンがドキュメントで語っていた気がしますが、世界の宗教でもたいてい地獄や冥界は地下にあります。BTが地面に繋がっていたり、ビーチから出るというタールも地面から出てきます。冒頭死体処理班のイゴールと共に運んでいた遺体がネクローシスするシーンがありましたが、この時の遺体は地面に沈んでいきました。一部火葬を行う宗教では、火葬は死者を天に送る手段であるといいます。つまり火葬された遺体は煙となり天に召されます。下ではなく上に行くので、あの世にある魂が座礁して怨霊になることが無いのでしょう。

もう一つ気になるのは火葬場を離れたところに設置している理由です。火葬された遺体はどういうわけかカイラル物質を排出します。カイラル物質が大量に出ることでカイラル雲が形成されると周囲には時雨が降り出し、最悪の場合BTが座礁してきます。だから火葬場を離した場所に置いているという事情は分かるのですが、何故遺体からカイラル物質が出るのかという点は不可解です。何か分かれば更新します。

カイラリティと逆さ虹

そもそも作品のテーマでもある「カイラリティ」が何かについてです。カイラリティとは、右手のように、鏡像にしないとピッタリ合わない性質を言います。我々が鏡に右手を当てると、自分の右手と鏡の中の鏡像の右手はピッタリと合いますが、本来右手と右手は向かい合わせにしても交わりません。この性質がカイラリティです。となるとカイラル物質は何か・・・。

カイラル物質はどういうわけか重力に逆らいます。結晶を砕くと粒子は天に上って行きます。カイラル物質を納品する時容器から上に向かって粒子が出ることからもそれは分かります。またこの性質が逆さ虹の発生に関わっているとも考えられます。通常虹は簡単に言うと空気中の細かい水滴に太陽光が当たる事で起こります。キャッチャーを倒した時に大量に現れるカイラル結晶を連続で砕いた時、近くで逆さ虹が発生します。恐らく重力に従う水滴による虹がアーチ状になるのと逆に、重力に逆らうカイラル粒子に太陽光が当たって逆さになるのでは無いかと思われます。時雨が振っている地域はカイラル濃度が高いので、その場所にカイラル物質の粒子がたくさん漂っているのでしょう。それに発生源はあの世のタールでしょうから、座礁地帯の上にかかるのではないかと。

 カイラル対称性は右手のように鏡合わせにした時ピッタリと合う性質でした。そしてカイラル結晶は手の形をしています。またBTは手形を残しますし、足跡の代わりに手形が地面に残ります。思うにBTはカイラリティの鏡像の部分です。つまりデスストにおけるカイラリティは、人間とBTの関係なのでは無いかと。

 

BTとインターネット

小島監督はネットでユーザーが棒で叩き合う状況というのを問題視するような発言をしています。これらを念頭においた上で考えてみると私はある解釈に行き着きました。BTは恐らくネットで繋がった誰かなのです。基本的に姿が見えない存在であり、別の空間に繋がったBBを介することで見えるようになります。つまりネット接続により関われるようになった人々のようなものです。BTには種類があります。通常座礁地帯に漂っているのはゲイザーと呼ばれるもので、これは神話などに登場する1つ目の怪物の名称です。つまり眼です。ゲイザーに見つかると地面からタールが現れ、ハンターが出てきます。狩人です。ゲイザーが扇動し、大量のハンターがサムを倒そうとします。揚げ足取りです。サムは座礁地帯に入ると叩かれ炎上します(?)

隅から隅まで対応している事は無いと思いますが、イメージの源流としてBTの発想はこのへんから来ているんじゃないかと思いました。

 

 カイラル通信接続時の十字架

カイラル通信をつなぐ時、カイラル濃度が急激に上がる事でサムが浮き上がります。その時オドラデグが恐らく濃度の変化を検出しているのですが十字の形になります。浮き上がってるサムもバランスを取っているのでしょうが十字架の形になります。十字架は罪と罰の象徴として描かれることが多いです。オドラデグが十字架を示し、サムは磔にされているようです。偶然かなとも思いましたがやっぱり気になっていて、そのままストーリーを進めるとその謎が分かりました。

カイラル通信はBBを触媒にして成立します。BBは脳死状態の母親、通称「スティルマザー」から取り出された胎児であり、言わば死の世界に繋がっている母親を媒介してビーチに繋がっています。人間としてまだ完全に生を受けていない状態であり、BBは生死の境界が曖昧な存在です。このBBと人間が接続することで、人間は言わばBBとスティルマザーを介してビーチに繋がることが出来ます。これによってあの世と繋がりのあるBTが見えるようになるわけです。

カイラル通信は、説明されていたようにビーチを経由することによって時間の影響を受けない無遅延通信が可能になります。ビーチ経由ということはつまりビーチに行くための媒介者が必要なわけです。つまりBBです。カイラル通信はBBとスティルマザーを経由してビーチに繋がっていた事になります。これはその場面になるまで気が付かなかったのですが、今考えるとこれまで説明されたビーチやBBの仕様を考えると予測できた事でした。これが作中のアメリの歌やドキュメントで語られていたような「ロンドン橋のフェアレディ」です。ロンドン橋の柱に埋められているという遺体が言わば人柱であり、BBは人類がカイラル通信という恩恵を得るための人柱、言わば犠牲なのです。はっきり言ってかなり非人道的な技術ですが、サムはそれを知りません。人柱を使ったこの技術を用いて世界を繋ぐ代償に、絶滅へのきっぷを手にしたわけです。このあたりが罪で、それが通信をつなぐ時の十字架で暗示されていたのでしょう。

国道の裏側

国道建設に勤しんでいるインフラ職人の方など気になった人も多いと思います。デスストの国道明らかに変ですよね。この国道、特に宙に浮いている道路の反対側にはドス黒い触手のようなものが垂れ下がっています。これはなんだろうという疑問です。

私の解釈はこうです。先述されたカイラル物質は重力に逆らう性質を持っています。厳密にこれがカイラル物質なのか分かりませんが、あの世由来の浮遊石も真っ黒で浮いていますし、少なくともこの世の物質ではありません。その反重力性質を利用して支柱を使わなくても良い構造になっているのだと思われます。と言ってもこの見た目は強烈です。

この項を十字架の下に書いたのは、私がそのドス黒い触手を「人柱」だと考えているからです。人柱、といってもBBのように非人道的なものでは無いでしょう。恐らくこれはインフラ整備に関わった労働者の血のにじむような努力なのでしょう。我々現代人は当たり前のようにこれらのインフラを使っています。誰かが敷いた道路の上を歩くし、誰かが建てた駅を使い、誰かが運転している電車に乗って目的地に行くのです。それらが作られた時、現場で労働した方々の苦労を我々は知りません。見えませんし、もしかすると見ようともしません。そういう、人が目を背けたがる赤の他人の苦労、あるいは犠牲が、このドス黒い触手なのではないかと。それに本作の舞台はアメリカです。過去西洋人はこの土地の先住民を迫害し、権利や法を押し付けた上でこのような道路を築き上げました。そういった暗い歴史があることを意識付けているのではないでしょうか。

BB-28と記憶

BB-28はプロローグでヴォイドアウトしたイゴールから受け継いだBBでした。出自は相変わらず謎ですが、実は多分それほど重要でも無いのでしょう。BBを接続した際にサムに記憶が流れ込んできます。そこに登場するのがクリフォード・アンガー(以下クリフ)でした。記憶はBB視点で、クリフはBBの父親であることが分かります。この時点では、単にBB-28の記憶だろうと思えるのですが、クリフの来歴が分かったり、ジョンが現れたことで疑いは一層濃くなりました。

結果的にサムが観ていたのはサム自身の記憶であった事が判明します。クリフはサムの父親でした。何らかの病気か事故によって亡くなったリサ・ストランドから取り出されBBとして人柱に捧げられそうになったのがサムでした。クリフがそれに抵抗し逃げ出そうとしますが失敗。その際起こった混乱でクリフとサムは死んでしまいます。しかしその時ビーチに流れ着いた幼いサムを見つけたアメリが、夢に出てきた絶滅者を止める存在になると革新し、サムとあの世との繋がりを断ったわけです。これによってサムは死んでも魂があの世に行くことなく、結び目から自身の肉体に帰還することが出来るようになりました。ここまでは作中で語られました。

じゃあ結局BB-28は何なのかという問題が残ります。BBは途中からルーと呼ばれます。これはサムが失った子供につけられるはずだった名前でした。単にサムが亡き子供とBBを重ね合わせていただけに過ぎません。BBは単に「不良品」として廃棄されそうになっていた量産BBの1人でした。サムとの繋がりは対消滅したイゴールを経由して得られたものです。しかしあのBBのポッドについていたルーデンスはクリフがつけたものです。サムが入っていたポッドについていたものと同じだとすると、人形がついたまま流用されたポッドなのでしょう。これ以上BBについて得られる情報はありません。つまり赤の他人です。

ではBBからサムの記憶が流れたのか。これは作中で語られていません。これについては恐らくですが、あの世との繋がりと同時にサムから切り離されビーチかどこかに漂っていた記憶が、BB-28を経由してあの世に繋がったことでサムに戻ってきたという事だと思われます。

 

手錠端末

これは設定というより表現の問題ですが、手錠端末はとてもおもしろいです。何故手錠の形をしているのか。単に腕につけるだけなら時計型で良いはずです。上記にも書いた通り、この世界では死んだ人を火葬しないとBTになります。なので可能な限り早く人間の死を把握しなければなりません。イントロでイゴールが持ってきた遺体は自殺でしたが、発見が遅れたために都市の近くで座礁地帯を生んでしまいました。あのような事が起こらないよう、常に個人の生体情報を把握しなければいけないわけです。そして都市のネットワークは、受動的に監視せざるを得ない状況的に。仕方ない状況であるとは言え、ある意味UCAに属し繋がった代償にプライバシーを失っています。サムがいつシャワーを浴びたか把握されています。

作中、都市から離れて暮らすプレッパーの中に、国家は個人の自由を制限すると加盟を拒否する人が現れます。つまり共同体に属することは、個人が何でもかんでも自由にする事が出来なくなることでもあるのです。これはある意味束縛であるので、個人の自由を奪う手錠の形をしているのでしょう。

また右手と右手をつなぐのも面白いですね。もちろん左手に繋いでしまったらどうしようも無いので論外ですが、本来左手にはめるべき手錠の反対側を右手に繋ぐことで機能を使えるのです。カイラリティは右手と鏡像の右手の関係でした。右手と右手は鏡の中で無ければピッタリ合わないので、これはもしかすると「合わない」相手とも繋がることを強制されている事の表現なのかもしれません。国家に属すれば、繋がりたくない相手とも繋がらざるを得ないのです・・・。

あとコードカッターが手錠につけられたのもユニークです。手錠は束縛の象徴です。繋がれた本人は無理やり繋がれてるわけですが、拘束されることで人との繋がりは絶たれます。コードカッターは臍帯を切るもので、繋がりを切る道具として手錠が用いられるというのも面白い表現です。

 

ママーの遺体

これは最大の謎でしょう。ママ―はテロによって瓦礫の下敷きになり、生まれる直前だった子供は代わりにあの世で生まれました。実はこの時点でママ―は死んでしまっていて、あの世に行ってしまった魂がBTになった子供経由で肉体に繋がっていたから動けていたとのことでした。言われてみれば寒そうな場所でも薄着で平気そうにしていたのも不自然でしたね。

ママ―、もといモリンゲンには双子の姉妹がいます。ロックネとモリンゲンは本来双子どころか結合双生児、つまり身体が繋がった状態で生まれました。後に切断手術が行われ現在のようになっています。しかしモリンゲンは卵巣が、ロックネは子宮が機能不全であり、二人共子供を産める体質ではありませんでしたが、子供を欲しがったロックネが正常だった卵子を使って、正常だったモリンゲンの子宮で子供を産む事になりました。ママ―の子供は本来ロックネの遺伝子を持っているという事です。

ママ―の遺体に関する最大の謎は、それがネクローシスしなかったという点にあります。ママ―は長い間生理学的に死んでいるにも関わらず、ネクローシスせず動き続けていました。子供との繋がりを断ったことでママ―の肉体は死体に戻り、魂はロックネの身体と共有されました。その後もネクローシスしないのでハートマンに遺体が渡され研究中ということです。どういう事でしょう・・・。モリンゲンとロックネが元々繋がっていたとなると、二人共死んでしまえばネクローシスするのでしょうか。

これについてはまだ分からない点が多いので、色々調べたり考えてみて何かしら答えが出たら書くことにします。