ゲームについていろいろ考えるとこ

ゲームについて考えます。考察記事やレビュー、ゲームを巡る問題などゲームに関わることを論じたい

ゲームの暴力表現

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ホワイトハウスが「ビデオゲームでの暴力」というタイトルで動画を作成しYouTubeにアップロードしました。日本のゲームメディアもこれを取り上げ、日本でもTwitter上で話題になっていました。これについて

 一連の流れの発端はアメリカで起きた銃乱射事件です。アメリカではしょっちゅうそのような残酷な事件が起こり、その度に銃規制を支持する声が上がります。カリフォルニア州ではどうやらディルドが規制されているのに銃が規制されていないというおかしな状況になっているらしく、アメリカにおける銃規制問題は難しい問題なようです。銃乱射事件の遺族たちが集まりトランプ大統領ヒアリングをしたようですが、そこでトランプ大統領は学校で起こった銃乱射事件について「教師が銃を使えたら防げた」といった発言をしたようです。トランプ大統領はどうやら銃規制には反対の立場なようで、銃規制から目をそらすために、「ビデオゲームの暴力表現が犯罪に影響を及ぼしている」という論調を展開し始めました。アメリカにはアメリカがたどった歴史がありますし、その国の問題について首を突っ込むのも筋違いではあると思いますが、私が愛するゲームを敵視するようでは無視できません。

 

ホワイトハウスが作った動画

これがまた無責任で腹立たしい。この動画のポイントは、「ゲームは暴力的」という訴えでなく「ゲームの中の暴力的な表現」を集めているだけという所にあります。なるほど確かに残酷です。ゲームの暴力表現を語る上で重要なのは、そのゲームにおいて「暴力」が「目的」であるか「手段」であるかどうかです。動画で多く使われているコール・オブ・デューティシリーズですが、あのシリーズは暴力を手段として用いています。つまり、ゲームのストーリーの目的を達成するために主人公たちは戦っているという事です。大体のゲームはこうであるはずです。ですが暴力そのものが目的となっているゲームも存在します。代表的なのが『Postal』でしょう。『Hatred』もどちらかと言うとそうでしょう。これらのゲームははっきり言って養護できません。私も好きではないです。目的が正しければ手段は問われないという考え方は現実では通用しません。ですがゲーム性という言葉を意識すれば、言い方次第では「暴力を如何に正当化するか」が問われると思います。ほとんどのゲームはそれをうまく達成していると思います。例えば『JustCause』シリーズは、反米の独裁者とその軍隊の所有物を破壊し尽くします。市民に攻撃を加える必要は全くありませんし、コンシューマー版ではそもそも市民に攻撃を加えることが不可能です。『HITMAN』も表現としてはやや過激な部分もありますが、基本的にはどうしようもない悪人に鉄槌を下す構図が出来ています。『The Elder Scrolls』シリーズの『Skyrim』でも、市民に攻撃を加えると罰金が課せられ、衛兵に敵視されます。『Metal Gear Solid V 』では、非殺傷武器が存在し、殺害をし続けるとプレイヤーキャラクターの見た目がどんどん悪魔のように変化していきます。このように、ほとんどのゲームでは、無意味な暴力は推奨されていません。ホワイトハウスが作成した動画は、ただ「ゲームの暴力表現」と暴力表現のみをピックアップしていて、前述した事を一切考慮していません。この点が汚くて私はとても腹が立ちました。如何にこの動画が卑怯か、ゲーマー達の反抗から考えていきます。

 

ゲーマー達の反抗

ホワイトハウスが作った件の動画は面白い程低評価がついています。ゲーマーの反発はもちろんあるでしょうし、銃規制問題から逃げるためのスケープ・ゴートとしてゲームを利用している事に、非ゲーマーの層からの反発も多そうです。そんな中Game of ChangesというNPO団体がこんな動画を作成しYouTubeにアップロードしました。

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ビデオゲームの88秒間』というタイトルで大変美しいゲームの映像を集めたモンタージュになっています。とても良い出来上がりで、感動しました。最近のゲームはグラフィックの表現力がすごく、サムネイルにもなっている『Horizon Zero Dawn』は文句ないくらい綺麗な舞台が出来上がっています。この動画はホワイトハウスの暴力表現を集めた動画と同じ秒数で作られているようで、ホワイトハウスの動画へのカウンターとして作られたものだそうです。ゲームは美しいものだという訴えは私も大いに賛同します。ですがこの動画は、ホワイトハウスの動画へのカウンターとしてはあまり意味がないのです。それはホワイトハウスの動画は「ゲームは残虐で暴力的だ」という訴えをしているわけでは決して無く、ただ「ゲームの暴力的な表現」のみを集めているからです。こちらの動画は「ゲームの美しいシーン」といった所で、カウンターとしての威力を発揮できていません。『Horizon Zero Dawn』は機械の生命体を倒すアクションですが、無法者の人間との戦闘もあります。『Minecraft』にも魔物が登場し戦う必要がありますし、それどころかなんの罪のない村人にも攻撃を加えて倒してしまうことが出来ます。つまり、「ゲームの暴力的な表現」と「ゲームの美しい表現」は競合しないということです。これをゲーム規制派に見せた所で「確かに綺麗だね。じゃあ暴力的な表現は規制したほうが良くない?」とでも言われるのがオチなんです。ホワイトハウスの動画がそれこそ「ゲームは暴力的だ!」という訴えを前面に押し出しているならば、この動画は威力を発揮したでしょう。ですがそうじゃないんです。何度も書いていますが、ホワイトハウスの動画は「ゲームの暴力的な表現」を集めているだけなんです。この無責任さには呆れます。あまり他国の問題に首を突っ込むのも筋違いだと先程書きましたが、はっきり言って「銃規制しろよ」です。